ボルネオに焼津村を!~先代たちの夢
第2次世界大戦中のお話です。
鮮魚介をはじめ、鰹節など水産加工品はすべて統制経済下に入り、地場産業の鰹節製造業が大きな打撃を受けました。そこで焼津の一部業者が当時の占領地であった東南アジアに新天地を開くという雄大な夢を追い求め、『皇道産業焼津践団』を結成しフィリピンやボルネオに渡りました。
だが、戦争はいよいよ激化し漁船や加工施設はほとんど潰滅し、焼津村建設の夢ははかなくも砕け散りました。そして多くの尊い命を遠い南方の地で亡くしたのです。それらの英霊が現在も焼津神社内に「郷魂祠」として祀られています。
私も、数年前焼津神社の宮司さんたちと共にボルネオの地を慰霊のために訪れました。クチンという街に当時の事務所があり、クチンにある日本人墓地内には「皇道産業焼津践団々員慰霊之碑」が建てられております。
今となれば、ここが激戦地だったとはとても信じられないような美しい自然に満ち溢れた平和な場所です。南方の地に渡った先代たちは当時8月13日になると即席の神輿を作り、みんなで煽ったそうです。
その場に立って、そんな情景を思い浮かべるとグッとくるものがあります。
焼津人の魂を感じます。
我々世代も、大きなロマンと勇気を持って行動した先代達を見習わなければいけませんね。
来週、焼津神社で年に1回の慰霊祭「郷魂祠祭」が行われます。
・・・・・・
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コメント
歌覚えないと・・・
投稿: 焼津男 | 2005/10/20 20:37
あの歌、一年に一回しか歌わないけどあのメロディはすごく印象的なんだよね。小学校の音楽の授業で歌ったようなような懐かしい感じがします。
投稿: とまとも | 2005/10/20 21:44
弊社の先代(祖父)もボルネオに渡った一人です。
私も慰霊団としてボルネオの地に行ったことありますが、ググッとくるものありました・・・。焼津島を作る!といった熱い想いが伝わり、業界発展の為に危険を犯してまで立ち向かう努力は想像以上のものでした。今でも地元の方々により慰霊碑近くはキレイに掃除されており、焼津(鹿児島)から島に渡った人々と住民との良い関係が見えました。
先人達の努力・・・しっかりと受け止め、想いを絶やすことなく我々も仕事に従事していかなくては!
投稿: 削り親父 | 2005/10/21 07:51
今年は4年に一度の大祭の年です。
第62回目になります。歴史がありますね。
投稿: さくとも | 2005/10/21 10:16
何だか、深い歴史があるんですね。。
焼津に住んでいても、まったく焼津の事を知りませんでした。
投稿: tommy | 2005/10/21 11:07
いや~ボルネオ島ですか・・行ったことないですね。
しかも焼津にゆかりがあることも知りませんでした。
焼津村設立に向け、何か手伝うことがありましたら、お声掛けください。海外展開を夢見るヒロシです・・^^;
ではっ
投稿: ヒロシです・・。 | 2005/10/21 12:20
削り親父さん
ボルネオのときはお世話になりました。
あの場所はなぜかググッときますよね。
しかしあのときのツアーは本当によく食べましたな。
一日5食!!
さくともさん
準備大変ですがよろしくお願いします。
私もお手伝いに伺います。
投稿: とまとも | 2005/10/21 13:15
tommyさん
古い業界には深い歴史がつきもので、現代に色々なことを教えてくれているような気がします。
私もまだまだ知らないこといっぱいあるのだろうな。
ヒロシ殿
そうきたかぁ~!ヒロシ!!
抜け目ないな。。。
投稿: とまとも | 2005/10/21 13:20
ともともさん、
ボルネオ島でも、クチンという街がマレーシアであることは今回初めて知ったレベルです。何かイベントが無い限り、こちら(個人的に)から積極的なオファーはできないような気がしてきました。大きく出ましたが、私のような感覚を持った焼津っ子が少ないので、急に寂しくなってきました。でも、グローバル化の波をうまく利用するには、こういうことから手をつけるのがいいと思います。
そして、クチンと静岡空港の便ができたら、我々が開拓したことになり、先代の慰霊にもつながっていくと信じてやまないのです。
って、こんな想いはおかしいのでしょうか?
投稿: ヒロシです・・。 | 2005/10/21 16:01